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公益財団法人・音楽文化創造に「えん」の記事が゜出ました

インターット上の公益財団法人・音楽文化創造に「えん」の記事が゜出ました。
「コラム」の「新しい方角(邦楽」)です。
https://www.onbunso.or.jp/activity/17579/

海外にも発信されているそうです。丁度学フェスの準備でバタバタしていた時期なので、
「えん」の多岐にわたる活動から刷れば一部しか書けていなく、今回、追加を加え、冊子として纏めて発行しました。

追加
寒中お見舞い申し上げます。今年もよろしくお願い申し上げます。
大雪が各地に降っていますが、お元気に過ごされておられるでしょうか。
2023年に入り、公益財団法人・音楽文化創造に「えん」の活動の記事が掲載されることになりましたので、(https://www.onbunso.or.jp/sandbox5/)少し加えて「えんの活動」という小冊子を作りました。よろしければお目を通していただければ幸いでございます。活動が多岐にわたりますので、掲載した他にも沢山の活動が有り覚えているものを下に付け加えました。
今年の学フェスは始めだしてからは30年目に当り、30周年記念全国学生邦楽フェスティバルと致します。若者のフェスは大正時代と昭和40年代に一回、そして私の開催している学フェスですが、今年は年齢問わず学フェスOBOGも前夜祭などを参加が可能としますので、大規模のイベントになり、邦楽の歴史に残るものになるのではと思われます。また、藤原道山師に委嘱している講習会は生配信を行い、生配信は一般の方もご参加いただけます。
★掲載以外の過去のイベント
・高槻市子供会対象のコンサート数回開催
・有田川町吉備ドーム、城山神社(農村歌舞伎舞台)での演奏会
・有田川町、小中学校での邦楽鑑賞会、邦楽を楽しむ家「楽々庵」でのコンサート数回
・えん20周年記念コンサート《可畏》を高槻市現代劇場で大勢の演奏家を招き、えん委嘱曲中心に開催
・依頼されてコンサート開催してきましたのも大宮・宇治・滋賀等数カ所。
・和歌山市老人ホームでの新春コンサート

★過去に大きなホール以外にコンサートを開催した場所 
 高槻スタジオ73,トリイホール、宝鏡寺、白沙村荘、愛染倉、二尊院、妙蓮寺、大通寺(長浜)、城山神社(農村歌舞伎舞台)、えにし庵(野外能舞台)、奈良・黒滝能舞台、他。
◇ミニコンサートぼろぼろ日記」では、亡弟によるタイトルや文字、野田八重野師による前衛的な舞台美術、
時には舞踏も入れ、民族楽器やピアノ、フルート等ともセッションを行ってきました。

◇弟がつけた「ぼろぼろ日記」シリーズののタイトル
《えん》《こころ》《ながれ》《いぶき》《ゆらぎ》《温故知新》《糸愉》《いつくしみ》《こころの彩》
《はらいシリーズ~まばたき、しずか、むすひ、とわ、めぐり》《可畏かしこ》
【命名の文字が秘むる因縁を かりそめならぬものと信ずる】吉本寿美(義母)
★現在も続いているイベント
・「沙羅の宴」 筑前琵琶・片山旭星師の会20回開催、引き続いて現在、法然院様が開催。
・法然院様での「おち椿の会」20回開催、引き続き伊藤志野が「つらつら椿」として開催。
・法然院主催・東北大震災チャリティ「悲願会」に2011年より毎年参加
・6月11日に「八橋偲奏宴」を金戒光明寺内・常光院(八はしでら)にて2011年より毎年開催。
・ゲスト・西陽子師と伊藤志野の会「音絵巻」を海南市・温山荘園、和歌山市・養翠園、常光院などで開催。
・文化庁・伝統文化こどもお琴・三味線体験教室(高槻市、京都・常光院の二カ所)
・えん箏の音を楽しむ会&伊藤志野社中おさらい会を年に一度
・高槻市部署保育園・にじいろこども園で月に二回・年間24回のお琴指導と新春コンサート開催。
・紀伊三曲えん遊会を海南市溫山荘園にて年に一度開催。

追加
「えん」の名付けを始めコンサートのタイトルや文字を考え、「えん」を支えた弟・吉本正洋。

■【吉本正洋】 「えん」雑感
父は技術者だった。
カメラが好きで、蛇腹の折り畳みのドイツ製のカメラを大切にしていた。
対象を如何に正確に捉えるかが、その撮りかたにも窺えた。
絞り込んで時間をかける、フィルムの感度の許す限り。

いつかニコンに変わっていた。
花を庭で作り始めたのもその頃だったかも知れない。
花はいつも図鑑に載せるような、精確で、冷たかった。

理論物理が専攻だった父に、無理難題をふっかけたのは高校時代だった。
父の書棚に並ぶ岩波の物理の全集を読みあさった結果だった。
対象が無条件で存在する事を前提とした学問に、疑問を持たないことを、たしか責めていたと思う。
『「質量」を前提に、自然の構造を思惟することに物理という学問が成立している』と父は言ったと思う。

数学も物理も、自然を表記する「言葉」の一つでしかない。
今、交わしている言葉も、社会を背景とした自然と人を表記するための道具だ。道具だから道具自身が持つ構造なりに、その言葉で表記される限界があるはずだ。
いや、使用している言葉の限界に気づかない内に、その言葉の構造の為に歪んでいる可能性だってある。

しかしそれを論証するのも言葉だ。
古代言語の発生から見直そうとしたとき、言葉のもつ自己矛盾に陥る。
それはまさに父の物理感と同一のものだった。

研究所での若い頃の実験が遠因して、水銀で体を蝕まれた結果が出るのは遅かった。
退職して寝込むことが多くなった。
東京に就職して、休みに帰り寝ている父のそばで酒をよく飲んだ。

花の写真が急に変わった。
それは「艶」と呼ぶしかない。
芥子の花の薄い花弁が舞っている。
他界する1年前だった。
観察する物としての花はそこに無かった。

象形文字と表音文字を駆使する日本語。
音と文字、対象を象形化した文字、混在する日本語。

言葉はまわりくどい過程を経る。
音が再構成されると同時に、図形処理された文字と関連づけられる。

音色が時間軸で再構成される時、音(ね)は姿をかえる。
直接に働きかけていた音(ね)は、新しい世界を創る。
「宇津保物語」の音(ね)は何だったんだろう。

チベットに今も残るギヤリン、ダルマの聖なる音は、概念分別を拒絶し、
遙かな道を五体投地を繰り返し訪れた巡礼者を圧倒するという。

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